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2008年1月

2008年1月29日 (火)

2つの祖国その8

 私には3人の息子がいて、一番下はまだ2歳なので別として、上の2人には、わりと小さい時から、ママは韓国人でパパは日本人だから、あなたたちはハーフだよ、と話してきた。今中学生と高校生だが、私たちの年代とまた違って、韓国人だから、というような差別的感覚はあまりないようである。ハーフであることを嫌がっているふうでもないが、私としては少し心配していた。

 ところが、長男が中学生のとき、学校の授業参観に行き、壁に貼ってある自己紹介の文章を見て、びっくりした。「僕の母の祖先は韓国人」などど書いてあるではないか!母の祖先、と書くところが少し照れ隠しなのかもしれないが、私はそのようなことを学校で大々的に発表したことはないので、かなりショックを受けた。とてもびっくりはしたが、そういうふうに自然に受入れてくれていることが、うれしくもあった。近所に住んでいる私の母は嫌がるだろうが・・・

2008年1月27日 (日)

2つの祖国その7

 結婚してから、帰化申請をした。私の家族の中では私が一番最初だった。両親は、前から早く帰化したほうがいいよ、と言っていた。特に父は、常々、韓国人はきらい等と言って、私たち兄弟にも民族教育はまったくしてこなかったし、私たちの結婚相手も日本人にしなさいと言っていたくらいである。

 私は、帰化については、今思えばどうでもいいこと、と思える。けれど、日本人と結婚して、日本で生活していくのには、日本の国籍になったほうが便利だし、子どもが生まれてもそのほうがいいだろうと思った。

 まずその頃は東京に住んでいたので、東京法務局に行き、書類をもらってきて、自分で書いたり、添付書類を集めたり、自分で取りにいけない書類は母に頼んで取ってきてもらったりした。書類を提出して、しばらくしてから、法務局で面接があり、夫と一緒に呼ばれて行った。面接は私だけではなく、夫も、私とは別々の部屋で面接をされた。どうやら偽装結婚でないかどうかを調べるためらしい。夫とはどこでどのようにして知り合ったのか、ということをお互いに聞かれたからだ。まぁ別に、偽装結婚ではないので、難なく面接も終わり、半年後くらいに帰化の許可がおりたのだ。

 許可がおりたら、自分で戸籍の手続きをしなければならない。私は、帰化後の苗字を「森田」にしたが、たしか法務局の人に、「離婚しても、苗字は変われないよ」と言われ、あぁそうか、とあらためて考えた。結婚したから変わった苗字とは違って、日本人になった瞬間から森田という苗字だから、旧姓がない、ということだ。まぁ、いいさ。

 そしてめでたく、夫の戸籍に入籍したわけだが、だからと言って、私は日本人になったのだろうか。その時も今も、まったくそうは思わない。国籍が変わっただけで、韓国人から日本人になるわけではないのだ。じゃあ、韓国人なの?と言われると、そうだとも断言できない。韓国人だからといって、韓国で暮らせるわけではない。自分は何者なんだろうという思いは、韓国籍だったときも日本国籍になった今も、消えてはいない。

2008年1月26日 (土)

床屋で髪を

今日は午後から研修会がこのあったので、午前中に髪を切りに行きました。私は、最近ずっと床屋に行きます。同級生が床屋で、家族全員でお世話になってます。最初は私も、床屋はちょっと、と思ったのだけど、ちゃんと仰向けになる台もあるし、最近はパーマもかけられるようになったのです。床屋の素晴らしいところは、顔剃りをしてもらえるところ!エステもしてもらえます。まさに極楽気分です。3ヶ月に一回くらいしか行けないけどね!

2008年1月23日 (水)

2つの祖国その6

 高校生の時、付き合っていた人と漠然と結婚のことを考えた時、自分は日本人じゃないってことを告白しなければ、という思いにとらわれ、また、周りの友人にも、打ち明けなければ、となぜか思いつめ、誰に一番初めに打ち明けたのか忘れてしまったが、そう違わない時期に、数人の友達と彼氏に告白した。

 反応は色々だったが、まず、彼氏は泣いた。今だったら、そういう人とその後、結婚できるようになるとは思えないと思うが、その時は、私自身傷つきながらも、そのまま受入れるしかなく、逆にそのことを理由に嫌われなかったことをありがたく思ったものだった。

 友達のある1人は、「日本人と全然変わらないよ、気にすることないよ」と言った。彼女なりに気を使っての言葉だったと思うし、彼女自身、その言葉のどこに差別があるのかわからないだろうと思う。またそう言われたからといって、付き合うのをやめたわけではないし、彼女に対する友情にひびが入ったわけでもないが、やはり上から見下されたという思いはぬぐえず、ちょっぴり悲しかった。

 そのあと、誰かに告白するのも少し嫌になったが、大人になってから、私が韓国人だと知っても驚いたり慰めたりしない人に、何人も出会うことができた。それでも、こうして私が自分のことを韓国人であるとカミングアウトすることに、私の母は迷惑だと言っている。自分のことなのだけれど、自分だけのことではないというのは、やっかいな問題である。

2008年1月21日 (月)

2つの祖国その5

 高校3年で、私は就職する道を選んだ。学校に求職が来ている中、自分で受験希望先を選んで希望を出すのだが、3回くらい断られた。先生によると、日本人じゃないとだめだということだった。4回目に希望を出した会社は、受験もOK、学科試験にも合格して、健康診断も受けたのだが、健康的に問題があるということで不合格となった。頸腕症候群、とたしか言われたと思うが、要は肩こりがひどく、募集していた職種がキーパンチャーなので、職業病になるおそれがあるから、という理由だった。その後、結局自力での就職活動はあきらめて、父の知り合いに頼んで就職先をお世話してもらったのだ。韓国人は簡単には就職できないんだな、と実感し、父母の年代の韓国人に会社員がいないことにも納得した。

 それらの就職活動以後、私はある意味、日本人に対してライバル意識を持ち始めたように思う。日本人より国語の成績がいくら良くたって、結局まともに就職もできなければ、韓国人だから、ということでなくてもバカにされるのだから、バカにされないように、日本人にも負けないように、といったら語弊があるけれど、とにかく頑張らなくちゃ、という気持ちが生まれたことは確かだと思う。

2008年1月15日 (火)

2つの祖国その4

高校2年くらいだったか、それまで漠然と、教師になることを考えていたというか、進学先として宮城教育大学を考えていたので、父にそんな話をしたところ、駄目だと言われた。どうして、と聞くと、韓国人は学校の先生にはなれないからだと言われた。その時私は、それを言葉通りに受けとって、そうか、先生にはなれないのか、と思っただけだった。ただ、韓国人だという理由で、なりたい職業になれないことがあるってことを自分のこととして、実感した。そして、進学したい大学が特になくなった私は、公務員試験を受けようと考えて、父に話したら、また駄目だと言われた。公務員にはなれないからだと言う。そういうことかと初めて納得した。公務員になれないから先生になれないんだと。だが父は、そういう、韓国人だから自分達はこういう差別を受けるんだというようなことを、きちんと話してくれたことがない。そのため、その後の就職活動の中で、私は身を持ってその厳しさを知ることになる。

2008年1月14日 (月)

2つの祖国その3

中学生の時、初めて外国人登録の手続きで役所の窓口に行った。父に連れられて、最初に写真屋さんで、証明書用の写真を撮った。そして役所に行って私がしたことといえば、指紋の押捺だった。まだ子供だったせいか、指紋の押捺をするという意味がよくわかっていなかったので、その時はなんとも思わず、そんなものか、という感じだった。後になって、そのことの意味を考えさせられたが、正直、それほど怒りは覚えなかった。それよりは、選挙権がないことや、公務員になれないことのほうが、私にとっては一大事だった!

2008年1月12日 (土)

2つの祖国その2

小学校の時、毎年春になると、児童調査表というものを提出させられた。これには、本籍地が記載されていて、ある時友達同士で、本籍地がどこか、という話題になった。その時初めて、自分がみんなと違うということを意識したと思う。恥ずかしいと思ってしまい、絶対に知られたくないと思ったのだ。今でこそ、個人情報の管理が厳しいが、その頃は、その児童調査表も後ろの席の人が前に集めてくるのが常だったので、いつもドキドキしていたものだった。結局、中学校を卒業するまで、友達に知られることはなかった。

2008年1月 8日 (火)

2つの祖国

 私は、在日韓国人の3世である。父も母も生まれは日本の在日2世。そのことを、自分の身の上として知ったのはいつのことだったか、はっきりとは覚えていない。小さい時に、帰化した従兄弟から、「俺は日本人だけど、お前は韓国人~」みたいなことを言われたことだけ覚えている。小学校の高学年になるころには、自分の家と友達の家の違いが段々わかってきて、それは例えば、お正月の食べ物や普段の夕食のメニューだったり、時々祖母の口から出るハングル語だったりするのだが、特にそのことが嫌だったわけではない。そうやって、自然に受入れてこられたことは、私にとって幸運だったと思わざるを得ない。韓国人という理由で、いじめられたことがないからだ。地域的なことや、両親の生活方針みたいなこともあると思うが、同年代の私の従兄弟などは、小さい時はいじめられた経験があるそうで、逆に私みたいに、周りにはほとんど知られずに成長できた人の方が少ないのかもしれない。

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