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2009年4月

2009年4月28日 (火)

父母会

 二男が高校生になって、しばらくはサッカー部の送迎とかとは縁遠くなると安心していたら、サッカー部に父母会があるとのお知らせをいただき、びっくりしました。活動内容として、積極的に応援に行き、試合時の先生のお昼を提供するとか、車での送迎もあるとか・・・?やってられない、というのが本音です。お金がかかることは仕方がないので、部費はもちろん払いますが(めちゃ高い)送迎とかお昼出しってのはほんとに必要なんでしょうか。中学校の時でさえ、試合への送迎には疑問を感じ、どうして自分たちで行かせないのか、と思いましたが、高校生になってまで試合に駆り出されるのは困ります。私が冷たいのか・・・?でも、私も仕事してなくって、小さい子供もいなかったら、必死で子供の追っかけをしてたかもしれません。

2009年4月24日 (金)

非課税だった・・・

 昨日、住宅金融支援機構の抵当権設定登記の依頼で、某銀行の相馬支店に行きました。朝の8時に家を出て、1時間強かかりました。その数日前に、銀行の方から、登録免許税の確認の電話があり、非課税になるのかならないのかよくわからない、と言われて、私もやったことないものですから、調べてみましたが、どうやら課税される、と思いそのつもりで銀行の方ともお話をして、お客様の担当の建設業者さんともお話をして、請求書を発行しました。

 当日、銀行に行った時もそういう話に一旦落ち着いて、書類を受け取り事務所に戻りました。そして、オンラインで登記申請し、印紙を買って添付書類を郵送で送ろうとしていた矢先、建設業者さんの方から電話があり、「非課税になるってよ!」「えぇ~っ!」

 急ぎ住宅金融支援機構に電話してみると、「非課税になります」とあっさり言われショック。なんでも、個人の住宅ローンとアパート建設費用とは別らしく、今回はアパート建設費用の融資だったんですね。「非課税には証明書が必要ですよね?」と聞くと、「銀行に届いてますよ」またまたショック。行った時にちゃんと見せてくれなかったよね?と思いながら、今度は銀行に電話。すると、「書いてあることが理解できなくて・・・」

 どちらにしても、もう登記は出してあるし、今日は木曜日だから明日には添付書類送らないといけないし、今日その書類受け取るか、明日の午前中に手元にないことには・・・そこで、明日の朝着便とかで発送してもらえないかどうか銀行さんに頼んでみると、忙しくてできない、と言われそれでは、今から取りに行きます、と言ったのが午後3時半。銀行には5時に着きました。

 書類は貰ったからいいけど、登記は補正がきくだろうか、と一晩落ち着かないまま、次の日法務局に電話して色々お願いしました。本来は取下げ・・・というところ、なんとか補正で進めていただくことにして、事なきを得ました。いや、買ってしまった印紙が354,000円・・・いつ使えるの??

 それにしても、はじめから機構に確認すれば良かったものを、見栄張って自分で調べただけで終わりにしてしまったがためのミスでした。お客様にご迷惑をかける前にわかってよかったです。業者さんが確認してくれなかったらアウトでした。全くお恥ずかしい限りです。

2009年4月18日 (土)

1泊入院

 三男が、陰嚢水腫という病気で手術をすることになり、先日1泊2日で入院し私も付き添いました。仙台医療センターの小児外科で診てもらったのですが、当日は同じような病気の子が他にも2人手術の予定で入院しました。うちよりもっと小さい子でしたが、まぁ、うちぐらいの(3歳)年齢が一番楽だったんじゃないかなぁ、と思いました。最近はぐずって泣く、ということがだいぶなくなりましたから。

 入院した日は、病棟の説明やら麻酔医の説明やら診察やら、色々あって、本人は普通に疲れてお昼寝もして、ご飯もいっぱい食べました。私の分の食事は出ないので、買ってきて一緒に食べたり、夫に来てもらって交替し、食べに行ったりしました。ただ、本人としてはどうして家に帰れないのか、ということがわからず不満だったようですが、なんとか初日は9時の消灯後しばらくして眠ることができました。私も同じベッドで添い寝のため、寝た気がしませんでしたが・・・

 次の日のお昼頃に手術の予定になり、朝から絶飲食でした。普段からあまり水分も摂らず、朝もあまり食べない子なので11時ころまでは、テレビ見たりプレイルームで遊んだりしていたのですが、さすがにお腹が空いたらしく「ご飯食べたい」と言い出しました。そして食事もとらずに遊んだので疲れたのか、12時ころに寝てしまったのです。そしてすぐに手術室に呼ばれてしまいました。半分寝ぼけながら、運搬用のベッドに乗り私と手をつないでおとなしく手術室の手前まで行ったのですが、手を離したら泣き出してしまったので、私もそのまま手術室まで入りました。そして、全身麻酔のための麻酔ガスのマスクを口にあてられ、10秒くらいで眠ってしまい、私は部屋に戻りました。手術は30分くらいだけれど、前後に時間がかかるので1時間くらいで終わるということだったので、その間にお昼を食べて待っていました。終わったとの連絡で、手術室に行ってみると、予想に反してまだ眠っており、酸素マスクをされていました。ちょっとびっくり。麻酔はすぐに覚めると聞いていたので・・・・実際うちの前に手術を終えて出てきた子は、すごい泣いていたので。昼寝の時間だから寝てるのかな、と思い部屋に戻って目が覚めるのを待つことに。2時間経たないと何も口にできないとのことで、心配しましたが、なんと2時間経っても眠り続けたままで、さすがに今度はほんとに目が覚めるのかと心配になってきました。

 4時半くらいに、看護師さんが起こしにきました。起こしてみると、普通にお昼寝から目覚めたみたいに起きて、腕についた点滴の管を見てびっくりした様子。飲み物が飲めて、食事ができ、おしっこがでたら退院していい、と言われたので、さっそく飲み物をあげてみるとちゃんと飲めました。看護師さんは吐き気を心配して、食べ物は軽いものからあげてください、と言われたのに、運ばれてきた食事の中からいきなりおにぎりを食べると言い、あっという間に平らげてしまいました。よほどお腹が空いていたのか、そのほかにバナナを食べゼリーを食べ、さらに「おかわり」と言われましたがもう何にもないので、おしっこしておうちに帰ろう、と言ってトイレに行ったのですが、出ない。その後何度もトイレに行くが、お腹が痛いから出ない、と言い張って出る様子なし。そのうち、先生がしびれをきらして、帰っていいと言われてしまいました。その後家に帰って無事におしっこも出たので一安心でした。

 2日間仕事しないで、子供につきっきりで相手したので、ほんと疲れました。子供の方も半日以上絶食していたことや手術で疲れたのか、家に帰っても夜はすぐに寝てしまい、次の日起きてきた子供の顔にものすごいクマができていたのでびっくりしました。それでも、とにかく無事に終わってホッとしました。

2009年4月17日 (金)

私も過酷

この春から、次男の過酷な高校生活が始まりました。一応スポーツが盛んな私立高校のサッカー部に入り、春休み中から練習に参加したりしていたのですが、入学して本格的に部活が始まったら、もう大変。朝練のため、5時起きで6時には家を出て、帰ってくるのは夜の9時頃。毎日帰ってきては、ご飯食べて風呂入って寝るだけ。本人も疲れて大変ですが、私も大変なことになりました。まず私も5時起きで弁当と部活後に食べるおにぎりを作ります。夜は制服のシャツにアイロンがけ等、私も過酷な毎日です。他のお母さん方もそうなのでしょうが、ちゃんとやってる方はホント尊敬します。今までも長男の弁当は作ってましたが、あまり文句を言わないで何でも食べてくれるので、かなり手抜き弁当だし、学校は私服なのでアイロンなんてあまりいらなかったんですね。そういえば中学校も制服だけど、形状記憶のシワになりにくいシャツにしてたので…まぁでも、子供たちも頑張っているので、私も頑張らなければね!完璧にはできないけど、きっと彼らもそこまでは期待してないと思い
ます。

2009年4月16日 (木)

机の雪崩

仕事って、ものすごく忙しい日と、ちょっと暇な日が何日かずつある位がちょうど良いですよねぇ。数年前まではそんな感じで仕事できていたけれど、今は毎日がものすごく忙しい日になってしまいました。あれ?今日は何も予定が入ってない、と思っても、朝から次々電話がきて仕事が増えてしまうのです。とりあえず目の前の仕事が片付いて、ちょっと落ち着いたかなぁ?なんて錯覚に陥っていると、机の上からファイルの山が雪崩を起こして、見ないふりをしていた事を思い出させてくれます。机がキレイになっている時は、何でもかんでも押し込んである引き出しが、詰め込み過ぎたものに引っかかって開かなくなります。家も事務所も大掃除がした〜い。そして溜まっているドラマの録画を見た〜い。

2009年4月 9日 (木)

成年後見人とは・・・

 先日、私が成年後見人に就任した本人のお宅へ、通帳や権利証を預かる、ということで伺いました。奥様と2人で生活しているのですが、奥様がガンで余命が残り少ないと診断され、残されるご主人を心配して成年後見の申立てをされた経緯があるのですが、当初は保佐の申立てだったのが、医師の鑑定により、後見に変更して審判がされたのです。ご主人は日常の生活については自立されており、身の回りのことはできるし、散歩も一人でできます。ただ、短期的な記憶が非常にあやふやで、判断能力については、いわゆるまだらな状況のようでした。そして、そのご本人の趣味というか日々の楽しみが、通帳を帳簿につけ直したりして、家計の状況を把握する、ということだったのです。

 ですから、申立当初から、通帳を人に預けるということに対してかなりの抵抗感をお持ちで、何度となく、「自分で全部できます」と言われました。その都度、結論を先延ばしにしてしまった感じだったのですが、急に奥様が入院することになり、審判も確定している状況なので、私が管理しなければならないものはお預かりする、ということを伝え、出かけました。

 着く草々、通帳を預けるということで朝からもめているので、私から本人に説明してほしい、と奥様に言われました。私と奥様とで交互に、成年後見の制度の説明や、お金の使い方については今までとあまり変わらないようにできる、銀行に行く代わりに私に電話をくれればよい、通帳は銀行の貸金庫に預ける、奥様がいずれいなくなる、というようなことを何度も話すのですが、「話す内容についてはわかったけれども、自分はそこまでモウロクしていない」とおっしゃるばかり。どうしてよいのかわからなくなり、一度出直そうかな、と思ったり、金額の大きいものだけお預かりしましょうか、と言ってみたり、それでもどうしても私が預からなければいけなくなる、というようなことを言ってしまったのです。

 その時、奥様に「もっと、本人に、先生がどういうことをする人なのか、噛み砕いて話してください、本人は先生のことをよく知らないし(前に会ったことは忘れている)今のままだと、あとで通帳を持っていかれた、と騒ぎ出すので、安心して入院できない」と言われました。

 そうです、私は、本人との間に信頼関係を築かなければならないとはわかっていても、その努力をしていなかった、言っても理解してもらえない、と初めからあきらめていたのです。でも、奥様は、今までに一度もご主人に対してあきらめたりしていなかったのです。いつも、同じことを何度も何度もお話して、ご主人が何度同じことを聞いても、何度でも同じことを答える、決して怒ったりもしません。もちろん、愛情ということもあるでしょう。そしてそこには、自分の命が尽きてしまう前に、夫が自分の亡き後も困ることのないようにしておきたい、という強い決意と覚悟が感じられました。あれほどの思いを正面からぶつけられたのは、私にとっては生まれて初めてのことだったように思います。

 その後、また同じことを、何度となく説明しました。何度もわかりやすく話をすれば、瞬間的に理解できる時があり、それは忘れたとしても、後でまた言えば思い出しやすい、とのことでした。まず、ご本人の警戒心を解いてもらうために、後見人のことは裁判所が監督するのだということ、成年後見については、任意後見のように元気なうちから代理人に財産管理を頼む人も増えている、最近は物騒だから、というようなことを話しているうちに、段々とわかってくださって、通帳を預けてもよい、という気になってくださいました。そこまで2時間かかりました。

 その後、通帳を出した段階で、今度は、これが今なくなっちゃうと帳簿がつけられなくなる、というので、それでは明日記帳したのをコピーして持ってきます、と説得し、最終的にお預かりすることができました。

 とても反省させられた一日でしたが、あの奥様に出会えたことは、私にとっては貴重な財産になりました。頭でわかっているつもりでも、それを自分の意思として行動に表す、というのはほんとに難しいと思いました。そして、奥様には一日でも長く、ご主人のそばで過ごしていただけたら、と祈るばかりです。

2009年4月 6日 (月)

ヘルニア

先日、MRIをとりに行きました。初体験。首の辺りを撮るので、つばを飲んだりしないでと言われましたが、そう言われると我慢できなくなったりして、また、途中何度か寝てしまいそうになり、辛かったです。その結果、頸椎椎間板ヘルニアとの診断。電気と薬で良くならなければ、注射と言われ、その日を伸ばし伸ばしにしている毎日です。首に注射なんて必殺仕事人を思い出し、怖くなります。今まで、注射で青くなっていた夫を笑ってたけど、ごめんなさい。けど、きっと私も避けられない〜。

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