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2011年3月

2011年3月31日 (木)

相談会

 色々なところで、災害関係の相談会が行われ、

私も明日から相談員として出向いていくのだが、

司法書士としてどんな対応ができるのか、とか

しっかり回答できるのかどうか、ということより

まずはお話しを聞く、ということだろうと思う。

 だれもが初めての経験で、行政や警察も、

対応が決まっていない部分があるなかで、今

できることを考えていかねばならない。

 相談を受けながら、今後も予想されそうな

事案等はホームページでも紹介していこうと

思う。

 ただ、相談会に行くのにも、ガソリンが必要な

ところもあり、いつになったら正常に買えるのか

心配である。

2011年3月25日 (金)

みんなどうしてる?

 震災直後、連絡が取れて無事だとわかった人も、

それぞれ大変な目に遭っているはずで、避難所生活

の友人・知人も多い。みんなガソリンがないために

動きも悪くなっていて、なかなか行き来もできない。

 私などは、休みになると寝るか、買出しに行くか、

という感じだが、みんなどうしてるかな?

 食材もなく、ガスも来ていないので、ご飯を作る

手間がないのは楽だけど、水で洗い物をするのは

つらいものがあるよね、それでも、水がでるだけマシ。

事務所スタッフの家ではまだ水もでない状態だ。

 債務整理の依頼者からは、職場が津波で流されて

仕事ができなくなったので、しばらく支払ができないとか、

銀行がやっていないので振込もできないし給料ももらえ

ないとか、避難所にいるので・・・といった相談が何件も

きている。みな一様に、債権者に待ってくれるようお願い

するのみだが、大抵の債権者は待ってくれると言ってくれる。

 登記の依頼者からは、放射能が怖いので他県に避難する

から、しばらく保留にしたい、という電話もあった。

 みな、それぞれ不安を抱え、懸命に生きている。そして

家族を支え、子供を育てている。

 自分自身、まだこの災害のことを受け止めきれていない

のか、心の整理がつかないというか、どこか他人事のような

気がしたり、一方で家に帰ると、壊れた台所や壁をみては

直さなければいけないというプレッシャーが襲ってきて、

逃げ出したくなったりする。

 どれくらい経ったら、前と同じような生活ができるのだろう。

 みな考えることは同じかもしれない。いや、避難所生活を

している人は、先のことなどあまり考えられないのかもしれない。

 あらゆる方面で、支援してくださる方々がたくさんいて、募金も

たくさん集まっているようだが、その支援の先が、一番苦しんでいる

方々であってほしいと思う。宙に浮いてる救援物資もあると聞く。

 今後も義援金の使われ方など、被害状況を整理して振り分けて

もらえると良いと思う。

 被害の大小というのも、大局的に見ると、津波で家が流された、

それも町ごと、というのがテレビでも何度も流れるので、それ以外は

被害が少ないように、被災していない地域の人からは見えるかもしれ

ないが、実はそういう金額だけでは計り知れない被害がたくさんあって、

当事者にとっては、金額の多少にかかわらず、大きな被害と言えること

もあると思う。もちろん、亡くなった方が多いことを考えれば、生きている

だけでありがたい、と思わなければいけないが、被害の大小を比べる

ことに意味はないと思うのだ。

 けれど、被害の大きい人には保険金がおりたり、助成金・支援金が

出たりして、被害が小さいと認定される人には何も補償がなく、かえって

大変なこともあるのではないか。

 この混乱の中、それぞれが、自分より困っている人がいると、我慢を

重ね、思いやりを持つことによって、何とか秩序が保たれている。

 うちの小さい息子は、我慢ができないので、家族中から嫌われる。

2011年3月24日 (木)

人は見かけによらないのだ

 以前、仕事で知り合った年配の男性。初めて電話で

話した時に、とても怒られて泣かされた。その言い方が

とてもひどかったので、クソじじいと思っていたが、その後

何回か必要があってお会いするうちに、すっかり気に入られ

仲よくなることができた。

 今回の震災後、数日たってその方から電話がかかってきて、

「食料に困ってない?肉とか魚とか手に入ったからあげるよ」

と言われ行ってみると、卵、肉、魚、野菜、お菓子と色々

分けてくださった。色んなルートで手に入れた物を、お年寄りの

お客さまなどに配っているのだということだった。ご商売を

されているのだが、その店頭で炊き出しもするんだよ、と

すっかり枯れた声でおっしゃっていた。

 今日も電話をくれて、お風呂に困ってるお年寄りがいたら

家で入れてあげるよ、と言ってくださり、うちはそんなに

困ってないので、大丈夫ですと言ったら、これから

忙しくなるだろうけど頑張って、と励まされた。

 べたな言い方だけど、本当にいい人なんだなぁ、と

あらためて思った。最初の出会いは最悪だったけど、

一面だけでは、人ってわからないものなんだな、と

つくづく思う次第である。

2011年3月23日 (水)

なすべきこととは・・・

 震災から10日以上たったが、自由に物が買えたり

動ける状況にはなかなかなっていかない。

 避難所生活を続けている人や、家族を探し歩いている

人のことを考えると、自分はまだまだ恵まれていると思う。

 被災していない地域の方々が、色々なことを考えて

支援の手を差し伸べてくれているなか、被災地にいながら

困っているのは風呂とガソリンくらい、という私の方が

何も考えていなくて、何もできていない。

 とりあえず、目の前のことをこなしていくだけで精一杯と

いうのは、みな同じことだけど・・・

 司法書士会では、被災者のための緊急相談会を予定して

おり、そのための勉強会が開かれる。とりあえずは私も

参加して、少しでも役に立てれば良いのかな、と思う。

2011年3月22日 (火)

白紙のスケジュール

 今日からスタッフも揃って仕事をしている。

 今月後半に予定されていた不動産の取引は

みなキャンセルというか保留になり、今月末まで

なにも予定が入っていない状況になってしまった。

 お風呂は連休中に一度、極楽湯に入りに行ったが、

一人一枚の整理券がもらえないと入れないので

休日にしか入りに行けない。

 なので、今朝またポットのお湯で髪だけ洗った。

 何しろガソリンがないと、何も動かないということ

だから、食料にしろなんにしろ、ガソリンがきてからだ。

 各地の知合いの状況を聞くにつけ、現実のこととは

思えないほど、各人それぞれの被災体験があり、みな

一言では言い表せないくらい悲惨で辛い。

 今も避難所にいるであろう友人のことが気がかりで、

また連絡のとれていない依頼者のことが心配になる。

 今日は、私の被後見人のマンション(誰も住んでない)

の管理人さんから連絡があり、地震後、誰も使っていない

はずの水道メーターが異様に動いていて、下の階に水漏れ

しているらしい、ということで見に行った。

 マンションの9階なのだが、部屋の中は割れた食器類が

散乱し足の踏み場もない状態。だが、水があふれたりした

様子はない。後でみてもらったところ、台所の蛇口が、

レバーを下におろすと水が出るタイプで、そのレバーに

物が落下して、水が出っぱなしになっていたらしい。

 本人が部屋にいなくて良かった。

2011年3月18日 (金)

震災6日目

具合が悪いので、とにかく寝てることにした。私も夫も疲れているせいか、ちょっとしたことで、けんかになる。具合が悪いせいもあって思わず泣いてしまったら、5歳になった三男が「パパのことなんか忘れちゃえばいいんだよ、ね?」と慰めてくれた。テレビで見る被害状況は日に日に悲惨さを増し、生活物資も不足して、いつになればこんな状態が落ち着くのか、先が見えずに不安になる。仕事もできなければ、お金も入ってこない。

震災5日目

火曜日、明け方に電気が復旧した。早速、洗濯機を回して、ポットでお湯を沸かし髪を洗った。子どもを保育所に連れて行ってみたが、保育所ではまだ電気が復旧しておらず、預かりはできるけど、暖房がないので寒いです、と言われ、やはり家に置いておくことに。事務所に行って、依頼者等の安否確認の電話をしてみるが、半分以上はつながらない。司法書士会のほうでも、宮城県会員の安否確認はあまりできていないようであった。場所によってまだ断水していたりもするようで、スタッフにはとりあえず今週いっぱいお休みさせることにした。帰りに、セブンイレブンが開いていたので、少し食料が買えた。カップ麺2個。この日、夕方から具合が悪くなり、熱が出てしまった。

2011年3月17日 (木)

震災4日目

 朝になっても電気が来ていなかったので、お湯も

あまり使えず、髪も洗えないが、とりあえず帽子を

かぶって事務所に行った。

 事務員の男の子が2人きていた。携帯を充電し、

パソコンでメールをチェックし、安否確認の電話を

あちこちかけてみる。つながった人はみな無事だった

が、つながらない人も多く、不安ばかりが募る。

 携帯がいつまでつながりにくい状況なのか、わから

ないため、事務所にいても仕事になるのかどうなのか

判断できないが、電話がならないところを見ると、東京

方面の債権者等も遠慮して電話をよこさないのか、と

思う。事務員もそれぞれの生活の方が大変で、自分も

我が家の食料とかのほうが心配なので、とりあえず

充電が終わった時点で解散し、明日また来てもらうことに

した。事務所の近くのコンビニが行列していたので並んで

食料をすこしばかり買った。

 家に帰っても、結局その日は電気は復旧せず、ただ

充電ができた携帯で、メール等は返信した。

 次男が熱を出して、下痢になったので、病院に連れて

行こうと思ったが、重傷ではない患者を診てくれる病院

がどこなのかわからず、新聞にでていた情報をたよりに

NTT東北病院に電話してみるがつながらないため、

とりあえず行ってみることにした。

 行ってみたら、やっていて、次男はインフルエンザでは

ないが脱水しているので点滴をすることになり、2時間

待つことに。その間、ロビーでテレビを見た。

 テレビを見ていると、軽傷患者はどこの病院へ、と

いう情報が流れていた。電気がないと、ほんとに情報が

収集できなくて困る。結局その日も夕飯を食べた後、

7時には全員寝てしまった。

2011年3月16日 (水)

震災3日目

家の中が、歩けるくらい片付いたので、4人で買い物に行くことに。お一人様何点限りと数量制限されるのだ。家族7人分確保するには一人では足りない。七郷のほうのカワチとケーヨーデーツーに行ってみるが、めぼしいものは売っていそうになかったり、カワチは長蛇の列で、生協に回ってみる。品物があまりないとのこと。ヤマザワに行くと、行列はさほどでもなく、インスタントラーメンやパックご飯が買えそうだったので、並ぶことに。この日は気温も高く、晴天で並ぶのもそれほど苦にはならなかった。車で行く途中の道路が何カ所も陥没していたり、建物が壊れたりしている。新聞で見た津波の写真は衝撃的だった。若林区に私が住んでいるのを知っている友人達からメールがきていたが、返信できない。そのうち、青葉区のほうで電気が復旧したと聞き、事務所は大丈夫と思って、とにかく明日は事務所に行こうと思う。泉に置き去りにしてきた車を取りに行きたいが、ガソリンが買えない。夜、まだ電気はきていないが、ポータブルテレビになけなしの乾電池を入れて見ることに
。知っている場所が次々に波に飲み込まれていく様を見て、涙が止まらなくなった。息子の同級生も何人も家を流されていた。

震災2日目

夜中に何度も連続して余震があったので、あまり眠れなかった。朝になって、家の状態を見ると、足の踏み場もないほど、散乱していた。とりあえず、朝は残っていたパンやクラッカーを食べて、家の片付けを始めた。台所が一番ひどく、30年モノのシステムキッチンの棚が壊れて、食器が半分以上割れ、流し台が壁からはずれて壁のタイルが落ちていた。息子に近所で炊き出しなどやっていないか、見に行ってもらう。モリヤスーパーに人が並んでいるというので、みんなで行ってみることにした。着いたら長蛇の列。店頭に商品を並べて売っているらしい。並ぶこと1時間半。インスタントラーメンやお菓子、飲み物を買った。家は停電はしていたが、水は出たし、灯油のストーブでお湯が沸かせるので、カップ麺は食べられたが、なかなか手に入らない。周りの状況がさっぱりわからず、ラジオを聞くしかない。携帯も繋がりにくい上に充電も切れそうだ。

震災当日

3月11日、午後から塩釜の会計事務所で打ち合わせがあり、車で向かう途中でガソリンの警告ランプがついた。何件かガソリンスタンドがあったが、帰りでも十分間に合うと思い、そのまま行った。打ち合わせがあらかた終わり、次に塩釜の藤倉に行く予定だったので、帰ろうとした時に地震が起きた。今まで経験したことのない激しい揺れがいつまでも続いて、永久に止まらないかのように感じた。事務所の中はさほど散らかることもなく倒れるものもなかったが、どうしていいのかわからなくなり、とにかく私も自分の事務所に帰ろうと思ったら、表で「津波が来るから避難して」と広報車が走っていた。会計事務所の奥さんに、海のほうに降りて行かないで、利府街道から行って、と言われ、その通りに車を出した。停電で信号が消えているため渋滞しており、とたんにガソリンがないことを思い出した。これじゃたどり着けないと思い、ガソリンスタンドを探すがみな閉まっている。そのうち岩切のほうに迷い込んで、道に迷ってしまい泉の免許センターのほうに行ってしまった。その間
何度も夫に電話をしてみるが、通じないので、災害用伝言板でメールをしたら、やっと返事が来て事務所は無事でスタッフは帰したことだけわかった。私も事務所ではなく保育所に子供を迎えに行かなくては、と思ったが泉のバイパスが全然車が動かない。ガソリンがなくなって動かなくなる前にどこかの駐車場に止めて歩くことにした。歩きながら、あちこちの建物が崩れ落ちたりしている様を見て、自宅の様子が心配になる。卸町あたりでバイパスからはずれて歩いているうちに暗くなってしまい、どこを歩いているのかもわからなくなった。ちょうど夫と電話が通じて、家族は無事で沖野東小学校にいると聞いた。こちらの状況を伝え、後はまた通じなくなったので、とにかく歩こうと思ったら、非常用電源で営業しているセブンイレブンがあったので行ってみた。めぼしいものはなくなっていて、とにかく買えるものをとお菓子と飲み物を買った。レジに並びながら隣にいた人にここがどこでバイパスはどっちなのか聞いたら、なんと車で乗せてくれると言う。親切なその方は、学校の先生
だとのこと。小学校の裏の道路が陥没してたので、手前で下ろしてもらい、避難所へ行った。中も暗く、寒かったがすぐに家族とは会えて、状況を聞くが、落ち着いて話せる状況ではない。しかも、父親は家に残っていると言う。母親は、津波がくるから逃げろと言われて来たようだったが、家には水はきていないとのことだったので、結局またみんなで家に帰ることにした。とにかくみんな疲れていて、その日はそのまま寝るだけだったが、布団に寝られるだけ幸せだと思った。

2011年3月 8日 (火)

年金事務所

成年後見人の仕事で年金事務所に来た。番号札が47、只今の受付番号が32となっている。お昼までに呼ばれるだろうか?

2011年3月 5日 (土)

デリカシーがない

 今週は、三男が熱を出して、一日休んでしまった。

 そもそも、先に熱を出したのは夫だった。

 38度も熱があるのに、平気でリビングのこたつに

座っているので、「みんなにうつると困るから、別の

部屋で寝ててよ」と言ったら怒って部屋を出て行った。

 どうして、そういう気遣いができないのか、いやその前に

熱がある夫に対する気遣いはないのか!どっちもどっちか?

 いやいや、夫はそもそも、デリカシーというものがまるで

ないのだ。というより、男はそもそも、デリカシーがない生き

物なのだ。

 昨日は、司法書士会で女子会を行い、今回は女性弁護士

の先生に講師をお願いして、DVについての研修会をした。

 講師を引受けてくださったのは、小島先生という、離婚や

DV関係のスペシャリストである。とても気さくな素敵な先生で、

講義も大変勉強になるお話しばかりであった。

 先生のお話しによると、仙台弁護士会では、セクハラ防止規定

が制定されたとのこと。その総会議案については延々数時間も

討論がされたようである。その激論の様子、見てみたかったなぁ。

 司法書士会にもあったほうが良いのでは・・・?

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