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2020年6月

2020年6月22日 (月)

息子の不登校 その後

 6月1日から学校に行き始めた息子。

 始めの2日間は保健室、その後いわゆる「別室登校」で

 学習室のような部屋で、ほかの2人くらいの子と一緒に

 勉強したり体育をしたりするようになった。

 2週間目から給食を食べて、6時間目までいるようになり

 そんなに飛ばして大丈夫かな?と思ったころ、

 筋肉痛がひどいからと言って、金曜に一日休んだ。

 その次の週はまた行くようになって、今度は

 筋肉痛ではない足の痛みで歩くのもひどいと言って

 病院に行ったら、踵と膝に炎症が起きていた。

 痛みのせいか、疲れたのか、木曜に休んだ。

 その後また金曜は行ったけれど、今朝は起きられなかった。

 3週間、毎日同じ時間に起きれていたので、休むかどうかは

 別として、なんとなく安心していたけれど、今日は

 なんだか私がもやもやしてしまった。

 今まで、1年半も行かないことを肯定してきたのだし、

 学校に行き始めた時も、「一日おきとかでいいのに」と

 思ったものだが、なぜ今日はもやもやしたのか。。

 考えたら、朝起きない→行くのかどうか決まらない、ということが

 私としてはイライラしてしまう原因かなと思った。

 あと、「起きられない」毎日がまた始まってしまうのか、

 という不安だ。

 昨日の夜、「出席日数のために学校に行ってるんだ」と

 言っていたので、「6時間目までいなくてもいいんじゃない?」と

 言ってみたが、本人は、そういう加減ができないのかもしれない。

 まぁ、3歩進んで1歩下がるって感じかな。。。

 疲れたら、休めばいいよね。

 と、自分に言い聞かせる。

 

2020年6月15日 (月)

不登校の息子の話

 現在中学3年の我が家の三男は、

中学1年の夏休み明けから、学校に行けなくなった。

学校に行かなかった期間は1年と7ヶ月。2年の時は

丸々一度も行っていない。

 ところが、今月からほぼ毎日行くようになった。

 まだこれからどうなるか、わからないけど、備忘録的に

ここまでのことを書いてみようと思う。

 長くなりますが。。。

 

<始まり~中1夏休み明け>

 休み明けに宿題が終わっていた試しがない息子は、

毎年確かに行き渋ってはいたけれど、小6では皆勤賞で、

雨が降ったりして「行きたくない」と言う日はあっても

実際に行かない日はなかった。

 その日も朝からぐずぐずして、宿題が終わっていないため

出かけるのも遅くなったので、私が車で送っていった。

 校門の前で降ろして、私はそのまま仕事に出かけた。

 息子がその日、登校しなかったことを聞いたのは、

夕方かかってきた担任の先生からの電話でだった。

 息子に聞くと、校門からUターンして家に帰ったと言う。

もちろんびっくりしたけれど、聞いても返事をしないので

その日は話もできなかった。

 翌日の朝、息子を起こして学校に行くように

声をかけたところ、急にわんわん声をあげて泣き出した。

「今までずっと苦しかったんだよ!」と言って。

「学校には行きたくない」と。

 何か、いじめとか、嫌なことがあったのか、

「苦しい」の理由をなんとか聞き出そうと思った。

部活が嫌なのか?宿題が終わっていないからか?

友達と喧嘩したのか?先生に怒られたのか?

でも、何も聞けなかった。布団をかぶって、拒否をする。

 こんなふうに、自分の気持ちをぶつけるのは初めてだなと

思った私は、それから学校に行きなさいとは言わなくなった。

 

 小学生の頃にADHDと診断され、学校生活でも色々と

うまくできないことが多かった。

 忘れ物はしょっちゅう、門限の時間も忘れるのは当たり前、

計画を立てられない、衝動性が強いので我慢がきかない、

そしてこれはADHDとは関係ないかもしれないけど、

朝が苦手で起きられない。

 そのほか、皮膚感覚などが敏感で、痛みを感じやすく、

それが精神的にも(例えば言葉に敏感で傷つきやすい)

影響し、人間関係がうまく築けなかったのだと思う。

 それでも中学に入ってからは、部活も頑張って、

勉強もそれなりに頑張っていた。ように見えていた。

 

 それが頑張りすぎていたのかな。

 私の仕事が忙しく、話をちゃんと聞いてあげられなかった

のかな。

 父親との関係が悪く、いつも怒鳴られていて、

心が折れちゃったのかな。

 本当はいじめられていたのかな。

 

 色々色々考えて、でもどうして行けないのか、

わからなくて、どうしたいのかもわからなくて、

どうすればいいのかもわからなくて、悩んだけど、

本人も悩んでいるのかもしれないと思い、

死にたくなるくらいなら、生きててくれるだけで

いいやと思うようになった。

 実際に死にたいと思っていたかどうかは

わからないけど、しょっちゅう「生きてるのが疲れる」

と言っていた。

 学校の話や友達の話はしたがらず、ゲーム以外は

何もやる気も起きないようだった。

 

 ADHDの診断をしてもらった先生のところに

定期的に診察に行っていて、そこには嫌がらずに

行けていたので、そこで先生と話をすることが

私にとっては心の支えだった。

 息子は一時は「先生に何か聞かれる」ことを

苦痛に思っていたようだけど、だいたいは、

話ができることで、息子も落ち着いていたように

思える。

 

 学校に行かないことでの当初の心配は、学力の

ことだったが、ちょうど中1の夏休みから、家庭教師

の先生に来てもらっていたので、最低限の英語と数学は

勉強を続けることができた。

 

 息子はとにかく毎日、友達とオンラインで会話しながら

ゲームをしていた。不登校の隣の中学の友達がいて、

その子ともう一人(この子も隣の中学)と3人で

いつもゲームをしている。たまに、映画を見に行ったり

遊びに行ったりして、仲良くしていたので、あまり

孤独ではなかったと思う。

 引きこもり、というのでもなく、買い物に行ったり、

映画に行ったりはするし、家の中でも部屋に閉じこもる

と言うわけでもない。

 私とは一緒にテレビを見たり、話もよくした。

 

 最初の半年くらいは、「ゲーム依存症」かと思い、

ゲームをやめれば、また学校に行けるのではないか、

と思っていたこともある。専門医を探したりもした。

 でも、段々と、そうじゃないことがわかってきた。

 そのことがわかるのに、1年以上かかったけれど。

 

 子どもが自分の思うような行動をしないからと言って、

何か強制的にやらせようと思っても無理なことは

自分の子どもの時のことを思えば、わかっていた。

 嫌ならば、いくらでも嘘をついたりして、自分の

気持ちに忠実に生きようとする。親なんていくらでも

騙せる。無理強いしても、いいことなんて一つもないと

思っている。

 でも、ほかの家族も同じ考えではないので、最初は

「あんたが甘やかすから」とかなり批判されたし、

夫も学校に行かない息子にイライラしていた。

長男、次男も、なぜ三男にだけ甘いのか、

自分たちは厳しくされたと、私に文句を言った。

 それでも、私は黙って見守ることにしたのだ。

 基本的に「学校に行った方がいい」とは言わない。

 毎日毎日、気持ちは揺れ動くし、本当にそれで

いいのかと不安になることも多かったけれど、

それこそ会う人会う人に息子の話をして、助言を

もらう中で「それは行かせなきゃだめだよ」と

言った人はいなかった。もちろん全部が本音ではないにせよ。

 だから息子にも「学校には行かなくていいよ」と言った。

「学校に行かなくても、生きていけるから」と。

 

 学校には行かなくていいけど、違うところには

行った方がいいのでは?という時期もあった。

フリースクールや、家庭教師ではなく、塾に通うとか。

 でもそれは息子にことごとく拒否された。

 

 「まだ、エネルギーが足りていないのかも」と

言われたことがあって、それが私には一番しっくり

きたけれど、本人の気持ちが動かなければ、何を

言っても響かないなと思ってから、出席日数を

気にするのもやめてしまった。

 

 学校に行ってなくても、どうにでもなってる人を

たくさん知っていることも、私には心強かった。

 大丈夫と言う気持ちと、息子を信じたい気持ち、

だけど本当にいつかその日が来るの?という気持ち、

そんな日は一生来なくて、このまま引きこもりに

なって大人になってしまうのではないか、という

恐怖と、色々な気持ちとの闘いだった。

 

 1年の時の担任の先生は、時々家に来て、プリントを

渡してくれたり、色々と声かけをしてくれた。

 1年の終わりに、3年生の予餞会があって、それに

来てみたら?と言ってくれたのだが、息子は私には

言わないで、登校した。その後も1回くらい、いつの間にか

登校していて、それを私が大げさに言うのが嫌だったらしく

「母ちゃんに言うとうるさいから」と言っていた。

 これを機に、学校に行くのかな?と思い、息子に聞くと

あまりはっきり返事はしないけれど、4月から、という

切りのいいところで、行けたらいいなと思っているような

感じだったので、小さくなった上靴を買い、制服を直して

新学期の初日を迎えた。

 

 でも、結局行けなかった。

 

<2年目>

 

 2年になるとクラスも変わり、クラスメイトも担任も

変わってしまい、完全に行く気がしなくなったようだった。

 担任の先生は、最初のうちは何回か家にきたけれど、

あまり話をするということでもなく、その後夏休み後には

ぱったりと連絡も来なくなった。

 

 一年以上、お昼ごろ起きてゲームをして、

家庭教師の先生とはちょっと勉強して、また

夜中にゲームして、という毎日。

 だんだんと、お風呂にも入らなくなり、歯磨きも

一年くらいしていなかった。

 私の心配は、学校のことよりも、息子の体調と

体力のことに比重が変わっていった。

 

 年に1,2回、私の旅行についてきて、去年は

台湾と、大阪USJに行ったのだが、体力がついて

いかず、ほとんど歩けない、すぐに座り込む、

途中で具合が悪くなる、という状態で、

日を追うごとに体力が落ちていくのがわかった。

 

 中2の終わりごろに、家庭教師の先生との話で

「高校には行ってみたい」と言うようになった。

 

 高校に行きたいのはいいけど、このままでは

体力が追い付かないから、すぐにまた行けなくなる

のでは、、と心配になった。

 

 それでも、家庭教師の先生の声掛けで、前向きに

高校進学のことを考えられるようになったと思う。

 そして、先生が「中学校には行きたいか、行きたくないか」

と質問してくれた。

 それに対して、「学校に行くのが嫌なわけではなくて

人に会いたくない」と答えたのだそうだ。

 なので、保健室とか別室登校ならいいのでは?と

先生が教えてくれた。

 そして、また切りのいい新学期が始まった。

 

<3年生になって>

 

 新学期が始まったはずだった。

 学校の先生が新型コロナに感染し、

始業式が大幅に遅れると連絡があってから、

緊急事態宣言となり、ほかの学校もすべて

授業がストップすることになった。

 4月から学校に行く必要がなくなったのだ。

 みんなも行っていないのだから、と気が楽に

なったわけでもないだろうが、とにかく学校は休み。

 その間、教科書を買いに学校に行ったときに

あたらしく担任になった先生に、別室登校の話をした。

 学校では、少なくともクラスに一人は不登校の子が

いて、別室対応もしているはずだと思ったのだが、

やはり先生も対応は可能だといってくれて、方法に

ついて検討してくれることになった。

 その後、登校日が何日かあったのだが、息子が

行かないと、先生が家に来てくれて、声掛けをしてくれた。

 

 休みの間は変わらずゲームをしていたが、

ゲームのアップデート等も、コロナの影響で

なかなか更新されず、楽しみにしていた映画も

公開延期になり、暇でやることがない、と言うようになった。

何か、趣味がほしい。

やること、ないかな~、と。

 4月の時点では、まったく学校に行く気配はなかった。

 制服も直す気にもならず、話したがらなかった。

 

 5月のある日「先生がプリント取りに来てっていうから

行くことになった」と息子が言って、明日学校に

行くと言う。「行って帰ってくるだけ」と。

 まだ本格的に登校が始まっていない、分散登校の

日であった。指定された時間に、送っていくことにした。

 すると、また次回の登校日に行くと言う。

 同じように、送っていき、帰りは本人が歩いて

帰ってきた。

 行ったときに先生と話したらしく、

「毎日プリント取りに行って、すぐ帰ってきても

出席になるんだって。」と言って、毎日行くと言い出した。

 高校進学の話で、「出席日数が足りない」という自覚を

今更ながらにしたようだ。

 6月から毎日通常登校が始まると同時に、息子も毎日

学校に行くようになった。

 始めは保健室登校で、2日くらい、保健の先生の手伝い

をしたりして帰ってきたが、その後別室登校となり、

他の子2人くらいと一緒の教室で、それぞれの時間に

空いてる先生が回ってきて授業を行うという。

 そのうち給食が本格的に始まったら、給食を食べて

6時間目が終わるまで学校にいる、ということが

できるようになった。

 体育の授業もあり、これが一番きついようで、

毎日筋肉痛で歩けない日もあり、一日休んだが

また毎日「送って行って」と言い、朝起きる。

 最初は本当に私も、行って帰ってくるだけが

ずっと続くと思っていたのに、なんでこんなに

極端なのかなと、かえって心配になる。

 

 学校に行くようになると、身だしなみにも気を付ける

ようになり、毎日風呂に入って、歯磨きもする。

 朝も頑張って起きる。

 筋肉痛が治らないと言っては、腹筋をしたり

腕立て伏せをしたりする。

 土日になると、「やることなくて退屈だな」と言う。

 ゲームは変わらずやっていて、友達と大騒ぎしながら

やっているし、時にはなかなかやめられず、私に

何回も「もう時間だよ」と言われて逆切れし

「くそ!死ね!」「黙っとけ!」などと

暴言を吐くことも多々あるのだが、

毎日、かなり前向きな様子である。

 

 何がどうなって、こうなったのか?

 色々なことや色々なタイミングが重なって、

自分から動く気持ちになれたのだと思うけれど、

家庭教師の先生や、クリニックの先生や、

新しい担任の先生のおかげでもあると思い、

本当に感謝している。

 私も、黙って見守るなんてカッコいいこと言って、

その実ただ放置していただけじゃないかなとも

思えるし、何が正しくて、何が間違いで、

この1年7ヶ月が良かったのか悪かったのかも

わからない。

 その間、「学校に行くこと」が正しいこととも

思えない、とも考えていたのに、いざ行くように

なったら「行けてよかった」と思ってしまうのは

どうなんだって思ったりもするけれど、息子が

何かに自分から取り組んでいる、ということは

紛れもなく嬉しいことだし、いいことなので、

息子には必要な休息期間だったのかもしれない。

 

 またこれから、何が起こるかわからないけど、

ゆっくり歩いていく息子を見守っていこう。

 

 

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